2002年日韓ワールドカップで日本がベスト16という歴史的な結果を残したとき、欧州のサッカー界の目が一斉に日本に向けられました。その大会を前後して、「黄金世代」と呼ばれる同世代の選手たちが欧州に旅立っていきました。
フェイエノールトで欧州タイトルを獲得した小野伸二、アーセナル史上初のアジア人選手となった稲本潤一、そしてセルティックのレジェンドとなった中村俊輔——。第2回は2000年代前半の「黄金世代」の欧州挑戦を振り返ります。
小野伸二〜日本人唯一の欧州カップ戦制覇
「天才」が欧州に渡った日
小野伸二は、1998年のフランスW杯に18歳で出場した天才として知られていました。「ボールが勝手に吸い付いてくる」と後に自ら語るほど卓越したボールコントロール、左右両足を使いこなす技術、そして大舞台ほど輝くというメンタルの強さ——。2001年夏、小野はオランダの強豪フェイエノールトへ完全移籍しました。
当時フェイエノールトを率いていたベルト・ファン・マルワイク監督は後にこう語っています。「シンジは今まで一緒に働いた中で、一番良いプレーヤーだった」。
移籍初年度にUEFAカップ制覇
加入1年目から中心選手として定着した小野は、2001-02シーズンにUEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)制覇という偉業を達成します。準決勝のPSV戦では、PK戦の第1キッカーとして登場し、リフティングをしながらペナルティスポットへと向かうという余裕の場面でチームを鼓舞。冷静にPKを沈めました。
決勝のボルシア・ドルトムント戦では「シルクのようになめらかなパス」と現地メディアが絶賛したスルーパスでトマソンのゴールをアシストし、フェイエノールトの3-2勝利に貢献。28年ぶりのUEFAカップ制覇という歴史的な瞬間に立ち会いました。
日本人として初めてヨーロッパカップのタイトルを獲得した選手となりました。
小野はフェイエノールトでの最初のシーズンに公式戦44試合出場6ゴールを記録。その類まれなサッカーセンスを発揮し、攻守のキーマンとして活躍しました。
世界が認めた天才の技術
小野のフェイエノールトでの活躍は、欧州の名手たちからも高い評価を受けました。
「小野伸二は天才。オランダ代表の練習で小野より上手い選手はいなかった」
— ロビン・ファン・ペルシ(元オランダ代表、元アーセナル)
「セードルフを見た時より、小野に会った時の方が衝撃を受けた」
— ディルク・カイト(元オランダ代表)
ウェスレイ・スナイデルも「これまで対戦した中でも、最もタフな相手の一人。彼が日本人だからとか、あなたを喜ばせようとしてそう言っているんじゃないんだ」と語り、対戦相手として小野の難しさを証言しています。フェイエノールトの地元紙がクラブ歴代ベスト11を選出した際にも小野が選ばれるなど、オランダサッカー史にその名を刻みました。
| シーズン | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 |
|---|---|---|---|---|
| 2001-02 | フェイエノールト | エールディヴィジ(オランダ) | 30 | 3 |
| 2002-03 | フェイエノールト | エールディヴィジ(オランダ) | 29 | 7 |
| 2003-04 | フェイエノールト | エールディヴィジ(オランダ) | 24 | 2 |
| 2004-05 | フェイエノールト | エールディヴィジ(オランダ) | 25 | 7 |
| 2005-06 | フェイエノールト | エールディヴィジ(オランダ) | 4 | 0 |
| 2007-08 | ボーフム | ブンデスリーガ(ドイツ) | 12 | 0 |
| 2008-09 | ボーフム | ブンデスリーガ(ドイツ) | 8 | 0 |
| 2009-10 | ボーフム | ブンデスリーガ(ドイツ) | 9 | 0 |
※出場数・得点はリーグ戦のみ。2005-06シーズン途中に浦和レッズへ移籍。
稲本潤一〜アーセナル史上初のアジア人選手
ベンゲル監督の直々の指名
2001年夏、稲本潤一はアーセン・ベンゲル監督の目に留まり、ガンバ大阪からプレミアリーグの名門アーセナルへシーズンローン(期限付き移籍)で加入しました。日本人選手として初めてプレミアリーグのクラブに加わり、アーセナル史上初のアジア人選手となった歴史的な加入です。
ベンゲル監督は当時こう語っていました。「フィジカルが強く、パス能力にも優れた選手。その熱意と才能は今季の我々の戦力になるだろう」。しかし稲本自身は後にこう振り返っています。
「正直、アーセナルのことをよく知らなかったんです(笑)。なんとかなるやろう、という気持ちもありました。いざ行ったら面食らいましたけどね」
— 稲本潤一
出場機会のない苦悩、そして2002年W杯での爆発
アーセナルではベルカンプ、アンリ、ピレス、ヴィエラといった超一流選手が居並ぶ中、稲本はリーグ戦での出場機会を得られないまま1シーズンを終えます。それでもアーセナルがリーグ&FAカップの二冠を達成した公式メンバーとしてクラブの歴史に名を刻みました。
そして2002年日韓ワールドカップで、稲本は爆発します。ベルギー戦では鈴木隆行の同点ゴール(1-1)に続き、稲本自身が日本を2-1とリードさせる逆転ゴールを決め、日本がワールドカップで初めてリードを奪いました(最終的に2-2引き分け)。ロシア戦では決勝点を決め、日本代表初のW杯ベスト16進出に大きく貢献しました。W杯後はフラムへ期限付き移籍し、UEFAインタートトカップのボローニャ戦でハットトリックを達成。欧州の公式戦で日本人選手初のハットトリックという記録を打ち立てました。
イングランドでの長期挑戦
稲本のイングランドでの挑戦は長く続きました。フラム(ローン)、ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン、カーディフ・シティと渡り歩き、プレミアリーグ通算66試合に出場。その後もガラタサライ(トルコ)、フランクフルト(ドイツ)、スタッド・レンヌ(フランス)と欧州各国でプレーし、日本人選手として異例の幅広い欧州経験を積みました。
| シーズン | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 |
|---|---|---|---|---|
| 2001-02 | アーセナル | プレミアリーグ(イングランド) | 0 | 0 |
| 2002-03 | フラム | プレミアリーグ(イングランド) | 19 | 2 |
| 2003-04 | フラム | プレミアリーグ(イングランド) | 22 | 2 |
| 2004-05 | ウェスト・ブロム | プレミアリーグ(イングランド) | 3 | 0 |
| 2005-06 | ウェスト・ブロム | プレミアリーグ(イングランド) | 22 | 0 |
| 2006-07 | ガラタサライ | スュペル・リグ(トルコ) | 25 | 0 |
| 2007-08 | フランクフルト | ブンデスリーガ(ドイツ) | 24 | 0 |
| 2008-09 | フランクフルト | ブンデスリーガ(ドイツ) | 19 | 0 |
| 2009-10 | スタッド・レンヌ | リーグ・アン(フランス) | 5 | 0 |
※出場数・得点はリーグ戦のみ。アーセナル・フラムはローン(期限付き移籍)。
中村俊輔〜黄金の左足がセルティックの伝説に
セリエAへ、そして「魔法の左足」の覚醒
中村俊輔は2002年、横浜F・マリノスからセリエAのレッジーナへ移籍。日本代表の10番としてJリーグのスターだった24歳が、中位クラブのイタリアで3シーズンを過ごします。監督のマッツァーリは「ナカムラはバッジョのようなもので、FWもできるし、MFもできる」と高く評価し、特にプレースキッカーとしての才能が開花しました。2004-05シーズンには「ガゼッタ・デロ・スポルト」紙がレッジーナ歴代ベストイレブンに選出するほどの活躍を見せました。
セルティックで伝説となった「あのフリーキック」
2005年夏、中村はスコットランドのセルティックへ移籍します。当初は「レッジーナのような小さなクラブの選手を誰も知らない」という反応でしたが、加入直後から魔法のような左足でサポーターの心を掴みました。
そして2006-07シーズンのCLグループステージ、マンチェスター・ユナイテッドとのホーム戦で伝説のシーンが生まれます。後半81分、ゴール前約27メートルのFK。満員のセルティック・パークが固唾を飲む中、中村が蹴り込んだボールは鋭く曲がり落ちてゴール右上に突き刺さりました。名手ファン・デル・サールが一歩も動けなかったその弾道は、のちにセルティック通算20回目の年間表彰式で「20年間最優秀ゴール賞」に選ばれています。
「ナカムラは完全にモラフチクを超えた。彼はこの4年間、クラブ史に残るようなプレーをわれわれに見せてくれた。それも何度もね」
— ヒュー・マクドナルド(英国人スポーツライター)
4年間でセルティックのレジェンドへ
中村はセルティックで公式戦約168試合に出場し、33ゴールを記録。在籍4年間でリーグ優勝3回、スコティッシュカップ1回、リーグカップ2回というタイトルをもたらしました。スコットランド年間最優秀選手にも選ばれ、2007年にはバロンドールにもノミネートされています。
「一度チームに入ったら一生セルティック人だ」——そのクラブの格言通り、中村俊輔は今もセルティックのファンに「KING OF JAPAN」として愛され続けています。
| シーズン | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 |
|---|---|---|---|---|
| 2002-03 | レッジーナ | セリエA(イタリア) | 32 | 7 |
| 2003-04 | レッジーナ | セリエA(イタリア) | 16 | 2 |
| 2004-05 | レッジーナ | セリエA(イタリア) | 33 | 2 |
| 2005-06 | セルティック | スコティッシュ・プレミアリーグ | 33 | 6 |
| 2006-07 | セルティック | スコティッシュ・プレミアリーグ | 37 | 9 |
| 2007-08 | セルティック | スコティッシュ・プレミアリーグ | 26 | 6 |
| 2008-09 | セルティック | スコティッシュ・プレミアリーグ | 32 | 8 |
| 2009-10 | エスパニョール | プリメーラ・ディビシオン(スペイン) | 13 | 0 |
※出場数・得点はリーグ戦のみ。
黄金世代が示したもの
| 選手 | 欧州での主な舞台 | 最大の功績 |
|---|---|---|
| 小野伸二 | オランダ/ドイツ | UEFAカップ制覇(日本人唯一) |
| 稲本潤一 | イングランド/トルコ/ドイツ/フランス | アーセナル史上初アジア人/欧州初ハットトリック |
| 中村俊輔 | イタリア/スコットランド/スペイン | セルティックのレジェンド/バロンドール候補 |
2002年日韓ワールドカップでの日本のベスト16進出は、欧州のクラブが日本人選手を見る目を大きく変えました。「日本のサッカーは本物だ」という証明が、その後の日本人選手の移籍を加速させます。
小野伸二が欧州カップ戦を制し、稲本潤一がアーセナルでW杯後の爆発力を見せ、中村俊輔がセルティックで伝説を作った——。この3人の足跡が、次の世代である本田圭佑や香川真司の欧州挑戦への布石となったのです。
▶ 次回:本田圭佑・香川真司・長友佑都…新時代の扉を開いた選手たち(第3回)