日本人選手の欧州挑戦史 第3回|「点」から「面」へ〜本田・香川・長友らが作った2010年代の地図

2010年南アフリカワールドカップ。岡田ジャパンがベスト16に進出したその瞬間、日本サッカーは新たな時代に入りました。中田英寿が単身イタリアに渡り、小野伸二や中村俊輔が欧州で個人として輝いた時代——しかし2010年代は、そうした「点の活躍」が「面の存在感」へと変わっていった時代です。

本田圭佑、香川真司、長友佑都、吉田麻也、川島永嗣——彼らは同時期に、複数のトップリーグで、長期間にわたって戦い続けました。日本人選手が欧州の「当たり前」になっていく、その転換点がこの時代です。


時代の転換点〜「点」から「面」へ

先人たちが積み上げた信頼

奥寺康彦がケルンで戦い、中田英寿がペルージャでセリエAを席巻し、中村俊輔がセルティックのレジェンドになった——。第1回、第2回で描いたパイオニアたちの挑戦は、欧州のスカウトや監督たちに「日本人選手はプロとして通用する」という認識を植え付けていきました。

しかし2000年代まで、日本人選手の欧州挑戦はどこか「例外的な存在」という側面がありました。「この選手は特別だ」「日本人にしては上手い」——そういった評価の枕詞がまだ残っていた時代です。2010年代はその枕詞が消えていく時代でした。

W杯2大会が変えた欧州の視線

2002年日韓W杯でのベスト16、そして2010年南アフリカW杯での再びのベスト16。この2つの結果は、欧州のクラブが日本人選手を見る目を根本から変えました。2010年代に入ると、プレミアリーグ、ブンデスリーガ、セリエA、リーグ・アンという欧州4大リーグすべてに日本人選手が同時期に在籍するという状況が生まれました。これは過去の世代では実現しなかった「面としての存在感」です。


本田圭佑〜孤高の10番が体現した「日本人の本気」

CSKAモスクワで欧州の舞台へ

本田圭佑の欧州挑戦はオランダのVVVフェンロから始まりました。**2008年1月に加入した当時、VVVはエールディヴィジ(オランダ1部)に所属していましたが、シーズン終了後に2部降格となりました。翌2008-09シーズンは2部(エールステ・ディヴィジ)で36試合16ゴールを記録し、チームの優勝と1部復帰に貢献。**2009-10シーズンは復帰したエールディヴィジで**6ゴール**を挙げる活躍を見せ、その実力をロシアのCSKAモスクワにアピールしました。

2010年1月にCSKAへ移籍した本田は、チャンピオンズリーグという欧州最高峰の舞台でプレー。**移籍直後の2009-10シーズンCL決勝トーナメント1回戦、セビージャ(スペイン)との第2戦で放った約30mの強烈な直接FKは世界にその名を知らしめました。このゴールがCSKA初のCLベスト8進出を決定付けた日本人初の欧州CL決勝トーナメントゴールとなりました。**CSKAでは**1度のリーグ優勝(2012-13シーズン)に加え、2度のロシアカップ優勝(2010-11、2012-13)**にも貢献しました。

ACミラン入団〜「10番」を背負った重責

2014年1月、本田は名門ACミランへ移籍。背番号10を与えられたことは、日本人選手への評価の高さを象徴していました。クラブの低迷期と重なり思うような成績は残せませんでしたが、セリエA通算81試合・9ゴールという数字は、日本人選手がイタリアという最も守備的で戦術的なリーグで長期間戦えることを証明しました。

「ミランの10番を背負うことは、夢であり重責だった。簡単ではなかったが、後悔はない」
— 本田圭佑

シーズンクラブリーグ出場得点
2007-08VVVエールディヴィジ(オランダ1部)142
2008-09VVVエールステ・ディヴィジ(オランダ2部)3616
2009-10VVVエールディヴィジ(オランダ)186
2010CSKAモスクワロシア・プレミアリーグ284
2011-12CSKAモスクワロシア・プレミアリーグ258
2012-13CSKAモスクワロシア・プレミアリーグ237
2013-14CSKAモスクワ→ACミランロシア→セリエA18→141→1
2014-15ACミランセリエA(イタリア)296
2015-16ACミランセリエA(イタリア)301
2016-17ACミランセリエA(イタリア)81

※出場数・得点はリーグ戦のみ。


香川真司〜ドルトムントで欧州を席巻した「マジック」

ブンデスリーガ連覇の立役者

香川真司の移籍金はわずか35万ユーロ。セレッソ大阪から渡ったボルシア・ドルトムントで、香川はその評価を何倍にも塗り替えます。クロップ監督のゲーゲンプレス戦術に完璧にフィットし、2010-11シーズンに8ゴール、翌2011-12シーズンに13ゴールを記録。ドルトムントの2年連続ブンデスリーガ優勝の立役者となりました。

「シンジは私が指導した中で最も知性的な選手のひとりだ。彼のプレーは見る人すべてを興奮させる」
— ユルゲン・クロップ(元ドルトムント監督)

2012年夏には約1600万ユーロという当時の日本人選手最高移籍金でマンチェスター・ユナイテッドへ。加入初年度は20試合6ゴールを記録し、2013年3月のノリッジ・シティ戦ではプレミアリーグ初の日本人ハットトリック(アジア人初でもある記録)も達成しました。その後ドルトムントに復帰し、ブンデスリーガでの活躍を続けました。

シーズンクラブリーグ出場得点
2010-11ボルシア・ドルトムントブンデスリーガ(ドイツ)188
2011-12ボルシア・ドルトムントブンデスリーガ(ドイツ)3113
2012-13マンチェスター・Uプレミアリーグ(イングランド)206
2013-14マンチェスター・Uプレミアリーグ(イングランド)180
2014-15ボルシア・ドルトムントブンデスリーガ(ドイツ)285
2015-16ボルシア・ドルトムントブンデスリーガ(ドイツ)299
2016-17ボルシア・ドルトムントブンデスリーガ(ドイツ)211
2017-18ボルシア・ドルトムントブンデスリーガ(ドイツ)195
2018-19ボルシア・ドルトムントブンデスリーガ(ドイツ)20

※出場数・得点はリーグ戦のみ。


長友佑都〜インテルで7シーズン、そしてアジア史上初の5大会連続W杯へ

インテルで不動のレギュラーへ

長友佑都がこの時代を象徴するのは、インテル・ミラノでの圧倒的な継続性です。2011年1月にチェゼーナからインテルへ移籍した長友は、欧州屈指の左サイドバックとしての評価を確立。セリエA通算186試合・9ゴールという数字は、日本人選手が「一時的なスター」ではなく「クラブの柱」になれることを証明しました。

「ユートは私が今まで見た中で最もフィジカルの強いサイドバックのひとりだ。彼のスタミナは人間離れしている」
— ロベルト・マンチーニ(元インテル監督)

インテル退団後もガラタサライ(トルコ)で3シーズン、オリンピック・マルセイユ(フランス)でもプレー。そして帰国後もFC東京でプレーを続け、2026年には日本代表としてアジア史上初となる5大会連続のW杯メンバー入りを果たしました。39歳での選出は、長友が単なる「過去の実績」ではなく、現役選手として日本代表に必要とされ続けていることを証明しています。

シーズンクラブリーグ出場得点
2010-11チェゼーナ→インテルセリエA(イタリア)16→130→2
2011-12インテル・ミラノセリエA(イタリア)352
2012-13インテル・ミラノセリエA(イタリア)250
2013-14インテル・ミラノセリエA(イタリア)345
2014-15インテル・ミラノセリエA(イタリア)140
2015-16インテル・ミラノセリエA(イタリア)220
2016-17インテル・ミラノセリエA(イタリア)160
2017-18ガラタサライスュペル・リグ(トルコ)150
2018-19ガラタサライスュペル・リグ(トルコ)171
2019-20ガラタサライスュペル・リグ(トルコ)151
2020-21オリンピック・マルセイユリーグ・アン(フランス)250

※出場数・得点はリーグ戦のみ。チェゼーナはレンタル移籍。


この時代を彩った選手たち

岡崎慎司〜奇跡の優勝に輝いたストライカー

岡崎慎司はブンデスリーガのシュトゥットガルト、マインツを経て2015年にプレミアリーグのレスター・シティへ移籍します。そして2015-16シーズン、レスターは5000分の1と言われたオッズを覆してプレミアリーグを制覇。岡崎はその歴史的な優勝の主力として躍動し、フットボール史に名を刻みました。

内田篤人〜シャルケでCLベスト4

内田篤人は2010年にシャルケ04(ドイツ)へ移籍し、右サイドバックとして欧州屈指の評価を得ます。2010-11シーズンのCLでは準決勝のマンチェスター・ユナイテッド戦に両脚フル出場し、**第1戦ではクロスからチームメートのゴールをアシストするなど攻守両面で躍動**。残念ながらシャルケは敗退しましたが、**CLベスト4進出という快挙**に大きく貢献しました。怪我に苦しんだ時期もありましたが、シャルケで7シーズンを過ごしました。

吉田麻也〜プレミアリーグ日本人最多出場のキャプテン

吉田麻也は2012年にサウサンプトンへ移籍し、8シーズンにわたってプレミアリーグで戦い続けました。センターバックとしてプレミアリーグ日本人最多出場記録(154試合)を更新し続け、クラブのキャプテンも務めました。その後サンプドリア(イタリア)、シャルケ04(ドイツ)でもプレーし、3大リーグ制覇という稀有なキャリアを歩みました。

川島永嗣〜フランスで7年を過ごした守護神

川島永嗣はベルギー、スコットランドを経て**2016年**にフランスのメスへ加入。**1部昇格を果たしたメスのリーグアン挑戦に加わり**、正GKとして活躍。その後ストラスブールへ移籍し、**2023年まで約7年間**フランスでプレーし続け、W杯3大会連続出場も果たしました。40歳を超えてもなお欧州のプロリーグで現役を続けた鉄人です。

その他のこの時代を支えた選手たち

乾貴士はフランクフルト(ドイツ)を経てスペインのエイバルへ移籍し、ラ・リーガで日本人離れしたドリブルと推進力を見せました。原口元気はヘルタ・ベルリンで長くブンデスリーガに定着。酒井宏樹はハノーファーからオリンピック・マルセイユへ渡り、フランスで高い評価を得ました。清武弘嗣はニュルンベルク、ハノーファーでブンデスリーガに貢献し、細貝萌はレバークーゼン、ヘルタなどで堅実な中盤の選手として活躍しました。


2010年代が日本サッカーに残したもの

「例外」から「当たり前」へ

この時代最大の変化は、日本人選手の欧州挑戦が「特別なこと」ではなくなったことです。奥寺康彦がドイツに渡った1977年、欧州でプレーする日本人は世界でただひとりでした。しかし2010年代には、欧州4大リーグに同時期に複数の日本人選手が在籍し、そのうちの何人かはレギュラーとして長期間戦い続けました。これはかつての世代が想像もしなかった光景です。

「長期在籍」という新しいスタンダード

この世代のもうひとつの特徴は「長く、ひとつのクラブに根を下ろした」選手が増えたことです。長友のインテル7シーズン、吉田のサウサンプトン8シーズン、川島のフランス**7シーズン**——これらは単なる「外国人枠の消化」ではなく、クラブにとって本当に必要な選手として認められ続けた証です。中田英寿は「日本人でも欧州で通用する」ことを証明し、中村俊輔はセルティックのレジェンドとなることで「日本人が愛される」ことを証明しました。そして2010年代の選手たちは「日本人が長く、深く、欧州に根を下ろせる」ことを証明したのです。

次の世代への橋渡し

本田・香川・長友・吉田・川島たちが欧州で戦い続けた10年間は、次の世代への確かな橋渡しとなりました。三笘薫がブライトンでプレミアリーグを席巻し、久保建英がレアル・ソシエダでラ・リーガのトップ選手として認められ、冨安健洋がアーセナルで不動のレギュラーとなった——その土台には、先人たちが積み上げてきた信頼と実績があります。

選手欧州での主な舞台この時代の象徴的な実績
本田圭佑オランダ/ロシア/イタリアACミラン10番/CL決勝T・セビージャ戦FK弾(2009-10)・ベスト8
香川真司ドイツ/イングランドブンデスリーガ連覇/プレミア初ハットトリック(アジア人初)
長友佑都イタリア/トルコ/フランスインテル7シーズン/アジア史上初5大会連続W杯
岡崎慎司ドイツ/イングランドレスター奇跡のプレミアリーグ優勝
内田篤人ドイツシャルケでCLベスト4
吉田麻也イングランド/イタリア/ドイツプレミアリーグ日本人最多出場(154試合)
川島永嗣ベルギー/スコットランド/フランス欧州13年以上の現役継続

奥寺康彦が1977年に切り開いた道は、中田英寿が広げ、小野・稲本・俊輔世代が深め、そして本田・香川・長友の世代が「日本人が欧州で戦うことは当たり前だ」という空気を作り上げました。その先にある景色 – 南野拓実、久保建英、冨安健洋たちが欧州トップリーグの「レギュラー」として疑いなく認められる時代 – は、すべてこの積み重ねの上に成り立っています。

▶ 次回:南野拓実・久保建英・冨安健洋…日本人選手が欧州トップリーグの「当たり前」になった時代(第4回)